2011年11月11日金曜日

提言【東日本大震災復興以後 ― 新しい社会の創生へ向けて】

                                                                                                         2011/9/30

南山会/NS分科会  編集責任:川村武雄
共同執筆者:田中俊太郎、齋藤彰夫、近藤宣之、川村武雄
*無断転載を禁じます。
              【目次】    1.はじめに
                               2.提言1 自立した市民が公平な安心社会を築く
                               3.提言2 将来への希望が掻き立てられる政策
                               4.提言3 総合知の活用で活力ある社会を実現
                               5.提言4 新しい社会を支える新電力システム
                               6.提言5 従業員の成長が会社を成長させる経営
                               7.おわりに

1.はじめに

東日本大震災、津波に蹂躙された街の惨状に、終戦直後の広島の光景が重なる。戦後30たち半世紀が過ぎ広島は完全に復興した。被災者の心身の傷と日本人のDNAに埋め込まれた戦争と原爆への拒否感の他は、今や原爆ドームが惨状の記憶を留めるのみである。そこには“過ちは繰り返しません”と刻まれている。

東京電力福島原発のメルトダウンの影響は、様々な形で徐々に広範囲に拡大してきているが、冷温停止後の核燃料の処理や放射線はどのような形式で封印されるのか、また、人気の絶えた原発周辺の土地への住民の復帰問題なども含め、最悪のケースは把握されているのだろうか。巨大なコンクリートの四角い塊を人々が遠望するのを、四半世紀後の姿として想像してしまうが、その頃の日本人のDNAには“安全神話という驕りは繰り返さない”と刻まれているであろうか。その頃、大震災後の東北はどうなっているのか?少子高齢化が進展し、現在1,000万人の東北人口は次第に減少し2050には700万人、しかもその多くは高齢者と言われている。活力は失われ想像するだけでも薄ら寒い状況になってしまっているのだろうか。我々はこれを「東北の2050年問題」として捉え、そこから類推される我国全体の活力や生活水準、国際競争力の低下などを、如何にして未然に防ぐかという問題意識を持っている。

古くはローマ帝国から大英帝国、近くはオイルダラーから“Japan as No.1”と言われたジャパンマネーの一時期なども含め、あらゆる歴史上の栄枯盛衰は平家物語の一節を想起させるが、それらはまた国家や文明の発展と衰退のサイクルというものなのかもしれない。しかし、だからといって国が滅亡して無くなってしまうということではない。イタリアも英国もどの国も、夫々の連綿とした歴史の上に現在があるわけだが、国際的な存在感や影響力はこれもまた夫々である。何がその違いをもたらすのだろうか?

我々は今回の試練にどう立ち向かい、何をどうやってこれからの日本を築いていけばよいのか?東日本大震災は我々にこのことを考えさせる契機となった。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などを通じて伝えられる論調は、「復旧、復興ということだけでなく、新しい社会を創生しなければならない」というものが多い。元に戻すだけではない、生活を再建し新しい理念で社会を再生するのだということで、基本的に我々も同じ考えである。我々は、被災地の復旧、復興を推進しつつ、そこで画期的な新機軸の社会的変革を試行し、その効果を見極めながらそれを日本全体に拡大適用していこうという考え方である。

思えば250年以上続いた幕藩体制を変革した明治維新と、太平洋戦争の戦火で壊滅した我国を再建した決断力と実行力、それを可能にした情熱とエネルギーは、日本人のどこに潜んでいるのだろうか。大震災被災者の惨状を慮ることさえ忘れ、党利党略の権力闘争にのめり込む永田町のリーダー達や、経済的に豊かになったことで変化に対する気力が萎えてしまったような日本人は、変革に挑むことができるであろうか? かつて版籍奉還や廃藩置県、それに公職追放など巨大な利権や利害得失が絡む旧制度の大変革をなし遂げた日本人ではあるが、それら先達のような国造りへの強い意志が現在の日本人に再び問われているのだと思う。

日本人としてこの国に生まれ、安心して暮らせる保障の行き届いた生活を、安全な環境で送りたい。国家としての日本は、活力に溢れ国際的にも競争力と影響力のある国でありたい。人に優しく節度のある社会、人々が連帯し支え合う調和のとれた社会、上質な暮らしを可能にする成熟した社会を築いていきたいというのは日本国民としての我々の願いであり、そういう社会を創生するための提言をここで展開したいと考えるものである。

2.提言1【自立した市民が公平な安心社会を築く

東京電力福島原発のメルトダウンは、地震と津波のために通常電源と非常電源の両方が失われ、そのため原子炉の冷却系統が機能しなくなったことで発生した。その当初の一連の過程で、状況説明が適切に行われなかったことは記憶に新しい。生のデータがまだ解析されていない、事実かどうかが確認されていない、報告が上がってきていない、国民の間にいたずらに不安を煽ることになる云々、いろいろな理由づけで説明が遅れあるいは不正確だった。中枢の当事者間ですら情報の秘匿や隠蔽があったとの報道もあった。非常時対応マニュアルがあったにも拘らず、情報開示は滞り上手く行かなかった。

原発の運転停止で電力供給能力が低下し、将来的には電力料金値上げもあり得ることから、企業経営者としては海外移転を検討せざるを得ないと報道されている。過去、企業の海外進出は、特に円高局面が訪れるたびに話題になり、実際に実行もされてきたのであるが、今回は電力問題が加わり空洞化の懸念は深刻であるという。しかし、海外への事業展開がすべて上手く行くわけではない。国際化が論じられるたびに常に問題提起されるのは、言葉の問題だけではない日本人のコミュニケーション能力である。

情報開示やコミュニケーション能力の不足について、なぜ我々は外向きの発信力が弱く、何かというと言葉足らずで説明不足になりがちなのか。根回しという形で事前に情報を共有することもあれば、逆に情報が事前に漏れると批判にさらされるので、情報開示をためらうということもある。なぜ我々の組織は内向き志向、閉鎖的、隠蔽体質になりがちで、お互いにサポートし合う方向へ行かず、批判し足を引っ張り合う方向へ行くのか?情報開示の必要性を言葉では分かっていてもいざとなると消極的で、開示の仕方や何を開示すればよいのかさえ迷ってしまう。あろうことか、原発再開へ向けてたちまち“やらせ問題”が引き起こされる有様である。公正・公平の精神が失われてしまったわけではないと思うが、このようなことは国民性なのだろうか、日本人の文化的な体質なのだろうか。

ここ数年の政治状況を見てみても、賛成と反対の両勢力が拮抗する場合が多く、ことを前へ進めようとすると必ず摩擦が生じ、両者間の橋渡しは困難を極める。このような状況は政・官・産などの各界にとどまらず、日本のあらゆる組織に潜んでいる。国全体の活力を底上げし、安心安全な調和のとれた新しい社会の創生を考える場合、旧来の慣習や社会的風土を変革し、新しい改革に取り組む必要があるのではないだろうか。

(1)ありのままの事実を公表して失敗を責めず、理由の如何を問わず公表しない隠蔽を責める。
(2)情報は直ちに公開する。事実は事実として冷静に受けとめ、動揺せず一喜一憂しない。
(3)新しい社会を担う日本人は、自主自立、且つ協調と連帯を尊重し、公正・公平を規範とする。

我々は、これらのコンセンサスがある社会を自由闊達な「開かれた社会」と定義し、それを目指すことで体質転換をはかりたいと思う。そのような社会は、都合の悪いことを隠して保身をはかる必要はなくなる代わり、自主自立の気概が求められる成熟した社会ということができる。そのように、体質を変化させることで、壁に突き当たってしまったような現代民主主義を打開したい、社会や政治のありかたにパラダイムシフトを起こさなくてはならないと考えるのである。

今回の原発問題に端を発し、今後の我国のエネルギー政策における原発について“幅広く国民的議論をするべきである”とメディアを通じて伝えられながら、その実現へ向けての動きは何もない。今や、改革の期は熟したと真剣に考えるべきではないだろうか。このような状況下にあって、我々は「代表制+市民参加型民主制」の試行を提言する。これは、現状の代表民主制の政策決定プロセスに、国民の意思をタイムリーに反映させるシステムを重層させるものであるが、現状は、このような新しい仕組みを試行錯誤的に実行する絶好の機会であると思う。政治主導であれ官僚主導であれ、国の政策は国会で政治的に決定されているが、その過程で国民の意思がどのように反映されているかが明確になっていない。将来にわたって我国全体に大きく影響する原子力発電のような重要問題に、国民的合意が有るのか無いのかはっきりしないまま、国策が決められてしまっている状況を打開する新しい社会・政治システムが必要である。この欲求は、今や国民的合意となって国内に充溢していると言えるのではないだろうか。国会を解散して国民の信を問うと言うが、それよりは新しい政策決定システムを導入することで、むしろ任期一杯じっくり取り組んでもらいたいと思う。

例えば、完全に利害関係を除外した賢人会議のような場で、国民の意見を幅広く吸い上げ多数意見をコンセンサスとしてまとめ上げ、政府に答申し政策に反映させるというような形式、あるいは、政府であれ政党であれ、決定すべき政策の論点を明確にした上で、国民の選択に諮るというような形式などもあり得るだろう。方法はいろいろ考えられるが、それらを技術的に可能にするのは、IT(情報技術)を最大限に活用した双方向通信機能に、後述する社会保障番号とパスワードで個人を認証する投票システムであり、後述する道州制の試行に合わせて対象地域を設定し、実証実験を行うものとする。この方法であれば、現在行われているRDD(乱数番号法)方式の世論調査より、幅広く早く、はるかに多くの信頼性の高い民意を問うことが可能である。この際、充分な検討がなされるべきは、所謂デジタルデバイドと言われる問題と高齢者対策で、自治体をはじめNPONGOの協力が期待されるところであるが、付随するこのような問題点は、実証実験と試行錯誤をすることで克服できる。

この市民参加型民主制は、国政レベルの重要事項から後述の道州政府、市区町村自治体レベル、更に最も身近な町内会や団地・マンションの役員会、管理組合などにおける議案の上程、決定まで広く採用することができる。運用や改善に優れ、正確できめ細かな日本人の資質をもってすれば、将来的には先進民主主義諸国の指針になり得るレベルに発展するだろう。その過程で、我々日本人は問題や状況を的確に理解し、自らの考えをきちんと表現する訓練を自然に受けることになる。時間はかかるが、この制度も一助となって、先に述べた体質の変化、情報開示やコミュニケーション能力の改善が促され、「開かれた社会」が実現していくものと考える。

前述の社会保障番号とは、将来的には全ての日本国民一人一人に付与する「社会保障番号制度」であり、我々はこの制度の実証実験を「代表制+市民参加型民主制」の試行と合わせて実施することを提言する。

(1)日本国民として税金や健康保険・年金の保険料などを納付する義務を明確にすることは、透明性を確保するというルールにのっとり不公正を排除し、自主自立した責任ある個人が尊重される社会の基盤となるものである。
(2)日本国民として育児・保育、教育、医療、年金、介護など社会福祉の給付を受ける権利を明確にする。社会保障は国が国民に対して用意するセーフティネットであり、日本国民である限り見捨てられることはないという安心社会を実現するものである。

従来この「社会保障番号制度」は、国民総背番号制とか共通番号制などと言われて、あたかもお上が下々を管理するかのようなネガティブなイメージで語られてきたが、あくまでも安心を保障するセーフティネットであり、実情としてはむしろ逆で非常にポジティブな制度なのである。個人を認証することができる機能は、このセーフティネットの確立と市民参加型民主制の実施にとって、必要不可欠な基本的な条件である。また、個人情報の保護に関し漏洩リスクが心配だという懸念は当然であるが、この点は既に稼働されて久しい住基ネットの技術上、法制上の安全性が確立されている、という実績で事足れりということではなく、第三者機関による審査・監視、指導・命令、最新の暗号技術の適用など、不断の努力が求められることは論を俟たない。このことは、システム全体の最重要の問題であり、最優先で常時取り組むべき課題である。

3.提言2【将来への希望が掻き立てられる政策】

東日本大震災は日本人の我慢強さと粘り強さ、それに連帯意識の強さを再確認させている。特に厳しい環境に耐える被災者をはじめ、その人達を助けたいし励ましたいと「がんばろう東北」の旗の下に結集する人々、世界を相手に奮闘した“なでしこジャパン”はそれを体現したシンボリックな存在と言えるのではないか。日本の次世代を担う若者を中心とするそういった人々に対し、批判にさらされる我国の政治家ではあるが、それでも復興構想会議からは提言が出され、時間はかかったが政府からは復興基本方針が示された。5年間で19兆円という第3次補正予算も決められていくであろう。被災者の生活と地場産業の再建、社会インフラの復旧などが、急ピッチで進められることを願うばかりである。

しかし、復旧・復興の全体計画や都市計画案が決められ、それに沿ってインフラ建設が進められていく時間軸を考えると、現実的には被災者は尚この先も長い我慢を強いられることになる。真にやるせないし歯痒いばかりである。被災者の心情を少しでも和らげ前向きにするには、前途に対してよほど強力な期待と希望を打ち出さなくてはだめだ。何をどうすればよいのか?我国は、「変わらなくては」と言われ続けて今や失われた20年となってしまったが、そういう状況下だからこそ単なる復旧、復興ではなく、新しい社会を創生しなくてはならないという空気が醸成されつつあったのに、どうも最近その機運は盛り上がりに欠けるように感じられる。しかし、手をこまねいて東北の2050年問題を放置しておくわけにはいかないのである。この際、我国社会の閉塞感も打破するような思い切った施策を、東北をモデルケースとして試行する提言を行い、広く国民世論を喚起したいと考えるものである。

被災県のリーダー達にとって、財源を復興債に求め償還は基幹税の増税とするという復興構想会議の提言は非常に重く、中央とのすれ違いやスピード感のずれに悩みつつも、巨額の復興資金は国に頼らざるを得ない。復興計画の立案や実行は、被災のつらさ悲しさ痛みの現実を共有する当事者として、自分達の必要は自分達が一番良く分かっているのだから、自分達に任せてもらえないかと考えるのではないだろうか。このマインドは地方自治の重要な柱であり、事実、政府の復興基本方針をベースとする計画の具体化は、被災自治体が中心となって実施されることになろう。これを契機に東北の自主・自立・自助を名実ともに最大限に育て、活性化を図る強烈なインパクトのある施策を継続的に打つべきであると考える。その一つとして、東北6県を統合し、経済規模をある程度大きくすることで自助努力を推進しやすくして、政策上の意思決定やコスト削減など業務効率を向上させ、地元ニーズに密着した大胆な規制緩和や民間活力の迅速かつ効果的な導入促進を目的とした「道州制」の導入を提言したい。

前述した東北地方の衰退は、少子高齢化による人口減少に加え、津波被害や放射能被害を受けた被災者が疎開先に定住し、将来的に戻ってこないことで増幅される可能性もある。道州制の導入で自治体としてのポテンシャルが上がることは、その対策としても効果的であり、被災県を含み東北州を設立して復興特別州(特区)の制定を行い、道州制の第1次社会的試行を5年間にわたり実施する。そのための国としての法整備は、財政権のみならず立法権までを含み出来る限りの自治を認める方向とする。この権限の付与に関して、道州制の社会的試行という観点から北海道と四国も第1次試行の対象とするが、財政権のみ付与し立法権は付与しないなど、条件を変えて比較検討を行うことが考えられる。その後、対象とする州の数を増やして第2次試行を5年間実施、10年後には我国全体に拡大し第3次試行を5年間実施、そして、第1次試行開始から15年後に定着させるという行程で道州制への移行を完了させる。

東日本大震災のような想定を超える巨大災害に対し、その復興予算案策定のため国会で一次補正、二次補正、三次補正と大変なエネルギーと長い時間が費やされ、国家財政逼迫の状況下では増税を避けて通ることが出来ない。我国のような自然災害多発国にあっては、国費として災害対策リザーブを積み立てる仕組みを持つべきではないだろうか。そこで、道州制の試行を機に、災害対策リザーブ積立てを目的とし、併せて観光振興と雇用の創出を意図し、広大な土地のある北海道のニセコのような適地を選定して、一大観光カジノ・リゾート建設を行うことを提案したい。カジノ収益を積立て原資とするこの事業は、中央政府と道州政府のコンソーシアムということになるだろう。試行とはいえ道州制が発足すれば、必要な法改正は特定の道または州限定でやり易くなる。冬のアウトドア・スポーツ、世界一流のエンターテイメント招聘、数千室のホテル群、北海道の大自然、食、医などの組み合わせは、暑い砂漠の人工的な米国ラスベガスの対極として共存しつつ、多くの観光客を世界中から集めるに違いない。

道州制の導入は、東日本大震災復興以後、新しい社会の創生へ向けて必要なカンフル剤であり、将来を見据えると地方分権や地方の活性化に加え、我国の「変化」への起爆剤になる。地域の潜在力を地方ごとに結集して高めることで、大都市への過度の集中に伴うリスク分散の流れを作り出すことが期待されるし、将来的には選挙制度をはじめ、首相公選など中央政治のあり方にも、非常に大きな変革をもたらす可能性を否定しない。我国に蔓延する閉塞感を打破するのに最も強力なインパクトになり得るもので、政府の決意が国民の心に伝わりやる気が掻き立てられることになるだろう。

4.提言3【総合知の活用で活力ある社会を実現

ITバブルの崩壊で明けた21世紀であるが、IT(情報技術)の進歩は止まるところを知らない。それが真価を発揮するには、通信インフラが欠かせないが、東日本大震災で壊滅的被害を受けた通信設備も、電話や光回線等、基本部分は僅か2ヶ月足らずで復旧した。今後の復興過程では、更に堅牢で高機能な通信インフラが整備されていくに違いない。

ITで様々なものが繋がる巨大なネットワーク、そこには、広大な情報、知恵、多様な文化を持つ人々が存在する。今後、ネット上の情報発信者の数は急増するだろう。そして、発信される情報間の相互作用が始まると、とてつもなく大きな総合知、創造知が生まれる可能性がある。

我国発展の源泉は、従来もこれからも優れた人的資源と豊かな技術力である。ITネットワークは、そのパワーを増幅し日本国民が活躍する場を提供してくれる。今や携帯電話は一人に一台、しかも猛烈な勢いでスマートフォンが普及している。子供から老人までがネットにアクセスする時代であり、ITに対する日本人の親和性は非常に強い。日本人の特質とされる高い受容性と応用能力に、東北人独特の粘り強さが相まって、ITを高度かつ広範囲に適用すれば、被災地東北は以前より遥かに強くなり得るのである。今こそ、その潜在力を活用すべき時であり、それを為さねば彼我の競争力には大きな差がつき、我国は国際社会において著しく後れを取ることになるかもしれない。

我々はそのように考え、ここにITがもたらす総合知を活用する為の、斬新な発想のアプリケーションの開発とその実証実験の実施を提言したい。最新ITの活用が被災地復興・強化の一助となり、未来志向の産業のあり方を確立、魅力ある雇用を創出し大都市へ流出した労働人口を呼び戻し、新しい社会の創生を可能にする。それを範として我国全体に拡大適用し、活力に溢れ国際競争力と影響力のある国造りに繋げて行きたいと考えるのである。

1.連携するモノづくり中小企業

その将来の姿を語ると次のようになる。2012311日、東日本大震災の一周年慰霊祭が行われたその日、東北ソーシャル・ビジネス・プラットフォーム(SBP)の組織は誕生した。SBPは、東日本大震災の復興基本方針が具体化される過程で設立された、被災地の中小モノづくり企業再建の切り札で、未来志向的なビジネス基盤(プラットフォーム)である。東北州の民間企業群が65%、州や自治体等の行政機関が35%を出資、5年後の100%民営化を前提とする。アプリケーションは、宮城県内の産学協同で開発された。SBPの運営が軌道に乗った2015年時点で、州内モノづくり中小企業群、大学、公益法人等、約1000法人が参加している。SBPを通じて様々な企業がプロジェクト毎に入れ替わり、そのネットワーク上の総合知を活用し柔軟に協業しつつ、顧客要求に応え、或いは新規市場を創造する様な斬新なアイディア、技術、製品を生み出し続けている。幅広く層の厚いモノづくり中小企業群が中核をなす日本なればこそ出来る仕組みだ。この形態は、日本全国に広がりをみせつつあり、我国の中小モノづくり企業群の国際競争力強化に大きく貢献しつつある。

2015年のある日、SBPに参加する宮城県仙台市のロボット技術専門商社A社のパソコンにビデオメッセージが届く。欧州の医療・リハビリセンターMからだ。相手は英語で話すが此方には、英語による文章と共に日本語の音声が伝わる。SBPサーバーが90%の精度で音声を自動翻訳してくれるからだ。Mの依頼は、肢体不自由者が他人の手を借りずに移動するための介助ロボットを作ってほしいとのこと。つまり、ベッドに横たわっている人の意思に従い、その体を起こし望みの場所へ運ぶロボットを、音声か脳波で制御することが必要だ。A社は、SBP参加メンバーの中でMの依頼に関心を示しそうな企業や大学、研究機関に打診、10数組が手を挙げた。A社は、早速手を挙げた総ての組織に、SBP上でMの求める製品の概略仕様説明を行った。SBP上ではテレビ電話会議、ホワイトボード、マルチタッチスクリーン等様々な機能を使えるので実際の会議と殆ど違いは無い。説明を終え、その後10法人の参加を確認、その中には脳波制御技術(BMI:ブレイン・マシン・インターフェイス)を有するR社も入っている。A社は、開発・製造プロジェクトチームの取り纏め役と、提案書の作成を行うことになる。

数週間後、A社が纏めた提案書をMに提出。ベッドから人を車椅子に乗せるまでを人型ロボットに、移動は自動式車椅子を使うという安全性への配慮と、ロボットと車椅子の制御に音声とBMIの双方を装備したきめ細やかな提案は高く評価された。いよいよ新型介助ロボットの製作開始である。開発、試作、本格製造、検査などの全体工程管理は、SBP上のプロジェクト管理センターで行われ、進捗状況は発注者を含み逐次総ての参加企業に公開される。

紆余曲折を経て半年後、音声・脳波制御による人型介助ロボットと自動式車椅子10台が無事Mに納入された。可愛い形の力持ち人型ロボット、軽量、頑丈で美しい形と色の車椅子は日本のモノづくりの真骨頂。Mが絶賛したのは云うまでもない。このプロジェクトに参加した企業や法人は、必要に応じて直接会う事はあるが、通常業務はSBP上で協議・協業を重ねてプロジェクトを進めてきた。Mによる試作品評価など、顧客を交えた全体会議も同時通訳機能の備わるSBP上で行われた。

東北SBPは、近く東北州外や海外のモノづくり中小企業の参加も呼びかけて行くという。10年後には、世界をリードするモノづくりのテクニカル・センターになっているだろう。

2.創造知の発信基地

“東北州を世界のイノベーション基地に”を合言葉に、州内産学連合を核にして始まった東北ソーシャル・イノベーション・プラットフォーム(SIP)、そこでは常に新しい技術、ビジネスのアイディアが飛び交う。簡単な会員登録で世界中の誰でも参加できる。共通言語は英語だが、日本語で入力或いは会話をしてもSIP上の“通訳”が英語に翻訳してくれる。プラットフォーム上の特別会議室では、気の合う仲間が新技術による事業計画を練っている。毎年春秋二回、仙台で開催される「新技術コンテスト」で優勝を狙っているらしい。

20164月半ば過ぎ、仙台国際センターの大ホールで行われている「新技術コンテスト」の最終選考会、1000席は総て埋まり、会場内は熱気に溢れている。SIPを通じて世界から寄せられた独創的なアイディアが、SIP上での二度にわたる予選を勝ち抜き、今30組が優勝を競う。審査員も国際色豊か、地元の大学教授、シリコンバレーのベンチャー・キャピタリスト、大手企業研究所長など多彩だ。

持ち時間15分のプレゼンテーション、既に29組が終わり最後の組が試作品らしい電子ペンを片手に熱弁をふるっている。「学生が、講義のノートを取りながら先生の声を丸ごと録音、自分のパソコンに無線で転送できます。ノートを見ながら復習する時、電子ペンでノート上の自筆文字を指すとその時点の先生の話を再生できます。このペンには大容量画像認識機能が有る為、記録紙の質は一切問いません。」 何やら面白そうだが、目標価格も手頃な範囲に収まるらしい。

いよいよ最終選考結果の発表、その様子はSIP上で同時中継されていて世界中どこからでもパソコンや携帯端末で観戦可能である。最優秀賞は、文字を読み声を発し言葉を学習するロボット、音声は限りなく肉声に近い。自分で考える力もあり分らないことは聞いてくるだけでなく、インターネットを介して答えを見つけてくる。受け付けや介護用、読書、検索用等以外にも、応用範囲はかなり広そうだ。準優勝は先の電子ペン、10位まで優秀賞が発表された。他の20組には順位はつかず、一律にSIP入選組として登録される。後に、上位10組までは、ほぼ自動的に複数のベンチャー・キャピタリスト等から、事業化までに必要な資金と人的支援が約束され、更にそれがSBP会員企業によって試作されることもある。本日のプレゼンテーションの模様は、総てSIP上のアーカイブスに残されるので、他の入選20組も後日様々な企業からの協業の申し入れや商品化支援などを受けやすい。2015年春から始まった催しだが、創造知の発信基地として世界的な地位を確立して行くものと期待したい。

3.遠隔ホームドクター

20157月、定年退職した中村は迷っていた。若い頃から、「仕事を辞めたら生まれ故郷の山形県酒田市に住もう。新鮮な食材も豊富、昔の仲間もいるし田園風景の中で暮らしたいね。」と妻と語り合っていたが、今は持病を抱え東京を離れることに不安がある。病歴ばかりか自分の体に関する総てのデータが都内のK病院にある。中村は10年以上付き合いのあるK病院の担当医Sに相談した。

S医師は、笑みを浮かべて「中村さん、そんな心配は全くありませんよ。酒田市ですか。あそこには大きな病院もあるし。中村さんは東北ソーシャル・メディカル・プラットフォーム(SMP)をご存じないですか? 東日本大震災復興計画の一環で、岩手、宮城、福島の被災地域を特区として始まった試みですが、今では東北州全域の病院、診療所と薬局をネットワークで繋いでいます。K病院も含む東京の多くの病院も東北SMPに繋がっています。そこには患者の社会保障番号で管理された病歴、カルテ情報等、医療に必要な総ての情報が保管されています。酒田市の病院に行かれると中村さんを診察する医師は直ぐにSMP上の医療情報にアクセスできるので、余計な初診検査も必要なく、直ぐに現在の治療を継続できますよ。若しどうしても心配で私に相談なさりたい時には、ご自宅のテレビ画面かパソコンから予約を入れて頂ければ、SMP上のテレビ電話機能を用いて直接話をしながら私の診察を受けることも可能です。お望みなら、私がSMPを通じて遠隔診療をしながら必要な検査を酒田の病院で済ませることも可能です。勿論薬剤処方も此方で出して酒田市内の薬局から配送してもらう事も可能です。」と。S医師は更につづけて、「中村さんの血圧や心拍数位の簡単なデータであれば、指定機器をご自宅に置いて頂くだけで、その測定器から直接SMPを介して中村さんのカルテ情報に記録して行くことも可能です。」

中村が、その後酒田移住の準備を始めたのは云うまでもない。東北SMPのアプリケーションは、東北州政府と医師会が推進母体となり、SBPを開発したと同じ産学共同グループに東北の医科大学が加わり開発された。SMPは個人の医療情報を扱う為、2015年時点の最高度の堅牢性と安全性を確保しているが、患者自身の了解が無い限り、医師は患者のカルテや診療履歴情報をSMPに保管する事は出来ない。患者自身も所定の手続きを経て、自分の情報を閲覧できる。診療費の決済もSMPで瞬時に行われる。

. 知の結集により新たな時代へ

以上は、ソーシャル・プラットフォーム(SP)が、日本人の日常生活を支えるインフラの一部となってきた近未来の情景寸描である。SP上で様々なものが繋がり総合知や創造知が醸成され、繋がるもの同士の距離と時間も一挙に短縮する。SPの有する可能性や応用範囲は非常に広い。

1990年以降、「失われた20年」と言われているが、それは日本が新たな時代を形成する為に必要な歳月であり、次の時代に向けた「知」を育んできた期間であったと考えたい。東日本大震災の復興を契機に、被災地を中心にその「知」を用い、SPにより未来志向的に再建し、それが新たな発展へ向かうエンジンになり得ることを実証したいと考える。東北州は、IT活用による日本活性化のモデルとなるのである。SPの裾野は被災地から東北州全域へ広がり、更に我国全体をその領域に巻き込んで、新しい社会の創生へ繋がっていくことになるだろう。

5.提言4【新しい社会を支える新電力システム

1.原発推進方針の転換

低迷する経済と混迷する政治が続く我国に、東日本大震災で更なる打撃が加えられた。巨大津波の災害に福島第一原発の事故と放射線被害が重なり、果たして日本はこの先どうなってしまうのかと思わざるを得ない。我々はこの国家の危機をどのように克服するか、どのように立ち向かって行けばよいのか、多くの意見、提案、議論が繰り返しなされているが、ここでは、我国産業と国民生活の維持・発展に必要欠くべからざる電力エネルギーは、今後どうすればよいかという切り口で提言をしたい。

地球温暖化防止の中心であるCO2排出規制に対し、クリーンエネルギーの切り札としての原子力発電の推進方針は、福島原発の制御不能によるメルトダウンと、それに続く放射線被害の拡大で方向が大きく変わった。米、仏に次ぐ原発保有大国である我国は、社会の維持・発展と電力の問題をどう解決して行くのか、我国の方針変更は世界からも注視されている。国内向けのみならず世界に向けても、必要なデータを迅速に公開し、市民参加型の討論により広く賛否両論を話し合った上で、国民の総意を反映した国の方針を明らかにすべき時である。原発運用の万一の災害に対する不信と不安から、現在、原発再稼動の見通しは全く立っておらず、全国で稼働中の原発はこのままいけば来年にはゼロになる。原子力発電による電力がゼロになるとすれば、現状のように明確な戦略のない電力エネルギー政策では、電力不足の危機は回避されず、国民生活に大きな不安と不満を与え続けることになるだろう。

豊富な電力エネルギーの供給は、日本の産業を飛躍的に伸ばし、世界史上でも稀に見る高度成長を短期間で成し遂げる要因であった。そこには電気エネルギーの国家戦略があり、それに沿って莫大な投資と人的資源の投入がなされていたのである。しかし、その成長は止まり、直面しているのは巨額な財政赤字の累積、製造業の国際競争力低下、少子高齢化社会の到来、それに加えての原発事故という現実である。国の将来への展望は大きく変わってきている。高度成長期のように、大容量の電力が安定した価格でふんだんに供給され、必要なだけ幾らでも使えるということは、もうできなくなった。これから先、環境維持を考慮して効率よく電力を使う一方、必要な電力は多様な電源から上手に(スマートに)供給するという、新たな戦略が求められているのである。我国の20年先、30年先の電力エネルギーを考慮した、新電力エネルギー政策が今こそ示されるべきである。

産業界にとり電気代のコスト増は、明らかに競争力の低下に直結し、製造工場の海外移転を加速させることになる。原発停止に対し地域ごとにどの位の電力が不足し、それを補う既存の火力・水力発電に加え、再生可能エネルギーによる発電の増大計画を策定し、年度展開のロードマップを示す必要がある。しかし、再生可能エネルギーを増やすと言っても、太陽光パネル、風力発電タワー、地熱発電、バイオマス発電などの実施には、必要な用地確保を始め、自然環境保護、電力安定供給などの様々な規制や条例を緩和、克服しなければならない。効率的で安全な設備への開発投資は、電力販売の収益だけでは実現できず、財政援助がなければ事業としては成り立たないだろう。再生エネルギー特措法(買取り法案)が国会を通ったとはいえ、依然として一般民間企業に対する参入障壁は高い。

2.被災地復興に新電力システム特区

大震災からの復興を進める中で、電力不足を理由に製造業の停滞と海外移転に伴う雇用減少を受容することはできない。一方、新電力エネルギー政策の策定には、具体的施策の検証が必要であるが、それは、現在すべての原発が停止しており、生活や産業の基盤を一から再建しようとしている東北電力管内の被災地を中心に行うことが最も効果的だ。そこを新電力エネルギー推進特区とし、あらゆる規制や税制の緩和などインセンティブを設定して民間活力を導入、実証実験を行うのである。自治体が津波による壊滅的被害を蒙った各地の土地を長期間借用し、自然エネルギー発電所用の建設用地を造成、優遇措置により民間企業の参入を促し、各種自然エネルギーの発変電設備を建設、関連産業の誘致を行う。送配電網の整備は、既存電力会社(東北電力)との第三セクター方式で共同運営することも検証の対象である。特区に産業を興すことで雇用を創出することは、特区制定を復興に結びつける重要な目標のひとつである。

先ず、海岸沿いの津波被災地である市町村を対象に特区指定をする。市町村を対象とする小規模区域は、再生可能エネルギーの発電事業を復興事業の一環として進め易いし、必要とする電力消費量(=発電量)の見通しを立て易い利点がある。参入を希望する企業にとっても、対象地域の環境に適した発電システムの計画、リスクの把握など具体的提案を立案し易いと考えられる。

新電力エネルギー推進特区には、横断的中立組織として電力監視委員会を設立する。それは、発電事業者が提出する発電計画の審査承認や、供給責任、供給品質、電力料金の運用管理・監視といった機能を果たすことになる。電力監視委員会は、自治体をはじめ電力送配電事業の知識、経験、技術を持つ人材、コンピューター制御やネットワークのノウハウを持つIT企業、研究機関などから人が入り、法整備や想定される事故への対策、停電発生時のバックアップ対策などについて対応方式を策定、新電力システム全体の管理を行う。このような運用・管理は、他地域との電力融通の問題とも関連するため、道州制の提言で述べた東北州全体の一部としてまず実施してみることが肝要である。再生可能エネルギーによる発電事業は民間、その電力を供給する送配電事業は東北電力(特区内は第三セクターを考慮)、電力品質と供給および電力料金の維持・管理は電力監視委員会が行うという区分になるであろう。

再生可能エネルギーによる発電は、発電所のみならず、発電した電気を送る送電線、消費地域に電気を配る配電網、更に変電所など設備の建設に加えて、発電電力が足りなくなったり多過ぎたりする場合に、不足あるいは余剰の電力のバランスをとる制御システムも必要である。つまり、多様な再生可能エネルギー発電所の発電規模を想定し、既存の発電所・電力系統から供給される電力と組合せて、効率よく電力を供給・消費・蓄電するシステム(スマートグリッド・システムなど)が求められる。ここで言うスマートグリッドとは、大電力発電や遠距離送電などに頼らずに、消費者の近くで電気を効率よく供給し、使う側の省エネ計画を反映して、電力の効率的な消費を管理するトータル・システムである。この新電力エネルギー推進特区で種々の技術的、システム的検証が行われ、順調に運営されることが見極められたなら、それを東北州の全地域に、更に東日本から日本全体に広げて行くことができる。既存電力会社の一社地域独占形態に民間競争を導入するには、ここで提案する特区構想と同様の方法を採用し、民間の再生可能エネルギー発電事業者が参入していけば、自ずと競争原理が導入されて行く。20年、30年先に再生可能エネルギー発電が、現在の原発に取って代わるまでに成長し、発電事業者が多様化していけば、現在の既存電力会社の事業は中央給電指令センター、各地の送配電センターなどを含み、送電・配電主体になって行くと考えられる。

以上述べたように新電力エネルギー政策は、先ず大震災からの復興を進めつつある地域に特区を設け、そこに資金、技術、人を集めるという選択と集中の政策を実行することが、現在の状況では時間的にも速く最も効果的であると考えられる。そして、各種自然エネルギーの有効活用・開発のために、地域の地形や自然環境などから、どうすれば長期にわたり安定的に電力を供給できるか、研究・実験して行くプロセス、また材料やエネルギー変換効率の向上などの技術開発、設備の建設費用、電力料金がどの程度になるかなど、特区の運営で検証して行くべき項目は多い。

今夏、東日本を中心に全国的になされた節電要請に対し、国民が示した省エネ節電の努力には注目せざるを得ない。電力会社の電力消費ピーク予想に対し、実際の消費電力は2030%下回る結果になったが、このことは日本人のいざという時の一致団結の精神が、見事に発揮されたと言えるのではないだろうか。貴重な電力エネルギーを効率よく使い、省エネ生活を拡充しようという機運が、漸く日本社会全体に強く盛り上がって来ている。世界のスマートグリッド技術先進国では、10数年前から再生可能エネルギーを効率よく使った、電力の高効率利用システムを追求している。我国でも、東日本大震災の被災地復興を魁として、新電力エネルギー推進特区を設け、スマートグリッドの実用化を実践すべき時である。


3.電力システムについて国民レベルで議論

今後の電力エネルギーの供給と消費のあり方に関して、多くの議論と意見が出されている。「脱原発」や「脱原発依存」などの声があるが、原発について言えば運転継続と再稼働による電力供給は、今や多くは望めない状況となっている。代わりに、消費地に近い場所で多様な小規模発電を行い、消費者は発電方式や供給元を選択することで地球環境の維持に貢献するなど、効率的な電力消費を個人住宅から集合住宅、事務所ビル、小規模自治体などで実現できるスマートグリッド・システムが大いに注目を集めている。東京都が東京湾埋め立て地に、民間から資本参加を募り天然ガス燃料の火力発電所建設を進めるとの報道があったが、これまで電力会社1社に頼っていた発電事業に、自治体をはじめ民間の電力配電事業者が次々に参入し、今後、消費者はどの事業者を選択するかという方向になるであろう。

将来の繁栄に欠くことのできない新たな電力システムのあり方については、数多くの数値データと共に技術的裏付けを伴った可能性のある姿を示しつつ、原発問題を含めて国民レベルの討論を重ねて理解を深めることが、極めて重要な局面となっている。国民レベルの議論を、という主張は特に原発事故以来多くなされ、その議論の場をできるだけ多く提供しようと企画する日本放送協会の努力を多とするものだが、我々が前段の提言で述べたようなIT(情報技術)を駆使する先端的手法によって、政府レベルで実施するのがやはり本筋ではないだろうか。国民レベルの議論を展開する予定や途中経過を含め、何がどのように政策に反映されているのかを、国民向けに広報し理解を共有するための具体的な一歩を踏み出す時が来ている。

6.提言5【従業員の成長が会社を成長させる経営

東日本大震災の大津波により2万人が生命を失い、それをはるかに上回る人々が住む家と仕事を失った。勤めていた会社が流され破壊され、職場とともに雇用が失われてしまったことによって、社会のセーフティネットとして雇用が果たしていた役割の重要性が、改めて全ての日本人に明らかになった。被災者にとって日々為すべき仕事があるということが、経済的にも心理的にもいかに重要であるか、復興にとっていかに大切なことであるか、心あるすべての日本人が理解したのである。

過酷な人生の現実に直面し、多くの人々が「生き甲斐」について思いを巡らせている。社会に生きる我々は、①周りから必要とされるとき、②周りの役に立つとき、③周りから感謝されるとき、④周りから愛されるとき、人生の喜びや生き甲斐を感じるものだ。このうち、はじめの3つは仕事を通じて実感できるもので、大多数の勤労者にとっては企業に雇用され働くことで得られる喜びである。家族の愛に恵まれていても、働かない限りは得られない喜びである。その上、企業の社員は健康保険、雇用保険、労災保険、介護保険、厚生年金という社会保険、いわば安心のセーフティネットで守られている。こうしてみると、企業の存在意義は人を雇用することにあるのではないか、企業は人を雇用し成長の機会を与え、その人の人生における自己実現の舞台でなくてはならない、と言えるのではないだろうか。しかし、残念ながら我国では、バブル崩壊後の不況と経済のグローバル化の中で、雇用を柔軟にコントロールすることが経営手法のひとつの選択肢となり、雇用を守るという使命を放棄した企業が非常に増えてしまった。

企業は誰のものか?それに対する答えとして、株主のものであるというのがグローバル標準となっているが、ステークホルダーの中で、先ず社員とその家族の幸せを願い、次に取引先の社員と顧客を大切にする。そして地域社会の活性化に貢献しつつ社会的評価を高め、収益を上げて配当することで結果的に株主の満足を実現するという順序が、企業活動のあるべき姿であると我々は考えている。このように、従業員に焦点を当てた経営理念から見れば、人員整理は企業の社会的使命の放棄であり、企業が存立する以上、経営者には雇用を守り抜く決意が求められているのではないだろうか。

雇用にあたっては、いわゆるマイノリティといわれる身障者、女性、高齢者、外国籍等々の人材も積極的に採用すべきだし、60歳定年は直ちに廃止できないとしても、定年再雇用や再々雇用で70歳まで働ける仕組みを作るべきだ。ところが実情としては、従業員に占める身障者雇用率を守れず、罰金を払っている企業は多く、女性の幹部や役員の登用比率は著しく低い。定年とともに失業する高齢者も多い。このような現実を前に、ここで主張する企業経営理念をきれい事として済ましてしまうようなことでは、被災地の再生を契機とする新しい社会の創生、更には東北の2050年問題の解決も覚束ないと我々は考えるものである。市場よりも人に焦点を当て、採用した社員の成長、育成に全力で取り組んでこそ企業は存続できる。社員の成長は、企業の成長に直接的につながっているのである。社員が懸命に努力しても利益を上げられないとすれば、それは時代環境に沿った適切なビジネスモデルを構築できなかった経営者の責任である。経営者は、経営上の問題とその解決は自分自身に、そして自社の中にあると考えるべきだ。自社の問題を常に社外の環境のせいにしている限り、社内のモチベーションは上がらないのである。以上は、「企業のあるべき姿」に対する我々のスタンスである。

このように、人を雇用しその維持を目的にするにしても、企業は常に黒字を計上していない限りは存続することができない。黒字を継続するためには、いかなる業種であろうとも自助努力が最も重要である。即ち、顧客を継続して増やし、顧客や取引先の満足を追求することで自社のサポーターになってもらえるよう、惜しまず努力を傾注する。その目的を達成するためには、社員の成長に投資し全社の能力開発に努める。雇用を保証しつつ待遇は能力向上と業績への貢献度で決められ、経営理念の体現を意図する社内制度とその運用を通じて従業員のモチベーションを高く維持し、顧客に提供する商品とサービス向上を実現していくのである。

さらに加えて、全社員が与えられた環境で今こうして働けることを感謝し、「これまで地球上で生き残ってきた種は、最も強いものでもなく、最も優秀なものでもなく、最も変化に対応してきたものが生き残ってきた」(チャールス・ダーウイン)という言葉を自覚して、変化を恐れず、むしろ変革を常態として働くという企業風土に誇りを持つようにしたい。他方、国や地方自治体は、政策としてこうした企業を支援する仕組みを検討し、実施する体制を整えなければ、民間活力による社会の活性化は有り得ないと考えるべきだ。例えば、70歳までの雇用、身障者雇用、女性の幹部への登用、新卒以外の雇用の促進等々の諸施策に対して、報奨金と制裁金の2面から、経営者の意欲を高める支援策を工夫して制度化すべきである。身障者の雇用に関しては、常用労働者数300人以上の企業が法定雇用率(1.8%未達成の場合、「納付金制度」で不足人数1人に対し、月額5万円の障害者雇用納付金の納入を義務づけられているが、この程度の罰金だけでは目的の達成には不十分であるし、一方、身障者や高齢者をより多く雇用している企業への報奨金も必要である。

これまで数々の国難を乗り超えてきた日本人は、震災と津波、原発問題のショックから必ず再起すると信じるものだが、日本の最大の資産は日本国民である。今回も見ることのできる人々の助け合いや触れ合い、共同体作りや種々の問題解決に当たっての協調的態度をはじめ、民主的労使関係も世界に例を見ないものだ。今回の大震災は、日本人としての誇りを認識し、助け合い、連帯感を再確認する良い機会になったと考えたい。自信を持って被災地復興と新しい社会の創生を目指し、企業もその社会の構成員の一つとして従業員を大切にし、社会のセーフティネットとしての使命を果たすべきであると考える。

7.おわりに

ここに述べてきた我々の提言は、復興の過程で実証実験的に実施することで、東日本大震災による被災地を単に元通りに復旧するだけではなく、新しい社会創生のモデルになり得る東北の再生を意図するものである。そして、試行錯誤を行いつつもそのモデルを我国全体に拡大適用することで、“新しい社会 ― 豊かに成熟した国、日本”を実現したいという願いがこめられている。

国家の歴史において繰り返される成長・衰退サイクルの一時期に、少子高齢化という社会状況が出現し、我国はこれから向こう数十年それに立ち向かうとしても、上質な暮らしを可能にする社会を築くことで、その影響を最小限に抑え、速やかに成長サイクルへと踏み出すことができるであろう。それによって、最初に述べた東北の2050年問題を回避することができると考えるのである。

我々は現代の廃藩置県ともいえる道州制特区を導入、東北州を創設することで、新たな国造りへ向けて変革の意思を鮮明に示し、安心して暮らせる人生を保障するセーフティネットの基礎となる社会保障番号制を提唱した。このシステムは日本国民としての個人を認証する機能を持ち、それによって国民一人一人がより直接的に国のあるべき姿、進む方向などに関与する市民参加型民主制の実現を可能にするものである。そこでは、現代という時代を牽引するIT(情報技術)が、その技術的裏付けを提供する。

ITの進化・発展は、巨大なネットワークを構築することで、そこに繋がる広大な情報や知識、多種多様な文化を持つ世界中の人々とのコミュニケーションを可能にし、誰もがその潜在力を活用できるのである。日本人には特有の真面目さや仕事に向かう勤勉な態度、約束を守る律儀さや誠実さに裏打ちされた、モノづくり大国としてのリーダーシップと気概がある。我々は、それをネットワーク上で発信していくべきであるとの信念で、東北ソーシャル・ビジネス・プラットフォーム(SBP)の構築を提案した。これは、未来志向型の産業創出を目指すもので、極めて付加価値の高い独創的なアイディア、技術、製品を生み出す仕組みである。我国産業の中核をなす中小製造業は、これによって国際的競争力を強化、維持し、雇用の創出を実現していくことができる。更に、東北ソーシャル・イノベーション・プラットフォーム(SIP)という、斬新な発想とそれを実現するアイディアや技術的解決策を世界中から募り、モノづくり大国としてのリーダーシップを発揮する場の創設を提案している。このシステムは応用範囲が広く、我々は東北ソーシャル・メディカル・プラットフォーム(SMP)という応用例を示した。これは、すべての日本人が老若男女を問わず、都市部、農漁村山間部、何処に住んでいようと、等しく医療と薬剤処方を受けられることを可能にするシステムである。

そのような社会システム実現のためには、通信や電力などの基礎的インフラの重要性は自明であるが、我々は、原発比率を50まで高める前提を掲げていた政府の電力エネルギー政策は、今や見直さざるを得ないという立場で新電力システムを提案するものだ。原発に代わる再生可能エネルギーによる発電は、ドイツが既にその方向へ舵を切ったが、日本にとっても最早止めることのできない潮流になっている。しかし、既存の電気事業法や電力統一価格など様々な障壁があり、そのハードルは高い。そのハードルをクリアするために、我々は、大震災の被災地を新電力エネルギー推進特区として、新電力システムを具体的に進める方策を提言した。更に、原発を含めた電力エネルギー政策に関する国民レベルの討論を同時並行的に進め、全国民の総意を問う活動を進めるべきであると考える。直ちに実施するのは難しい国民投票のような形式をとらなくても、ITを活用することによって広く全国から多くの意見を集め、国の政策に反映する企画は直ぐにでも始められる。

被災地を中心に再建される会社、あるいは復興の過程で新たに参入し設立される会社の経営のあり方について、我々は、従業員を第一とする経営理念を提唱、経営者には雇用を確保する強い自覚を促した。社員の成長は企業の成長へつながり、それによって安心のセーフティネットはより強固なものになっていくのである。

これら提言の実施により再生した東北に住む人々、そこに育ち、帰郷し、あるいは転入して生活していく人々は、自主・自立の気概に溢れ、それでいて連帯意識が強く、人に優しく利他の精神に満ちた社会生活を発展させて行くことになるだろう。人も家族も、学校や仕事も会社も、豊かな自然環境の中でゆったりと共生している。そこには不安のない上質な地方暮らしがあり、それは大都会に出なければ豊かな生活は出来ないというパターンと決別するものだ。

東日本大震災からの復興は見える形で為され、新たな都市計画に沿って建設されるインフラは、将来の大地震や大津波への耐性を増すであろう。我々は大自然の脅威に対し謙虚であるべきことも学んだし、そういう目に見えない部分でも、今までになかった新しい各種のシステムが継続的に適用され改善されて行く。“元に戻すだけではない、新しい社会を築くのだ“という問題意識で、我々が提言したそうしたことは、新しい社会を築くための基盤となる社会システムである。
                                                                                                                                                   ― 了 ―



【南山会および執筆者について】



南山会:                様々な分野の情報を提供し議論する民間の非営利団体。現在会員数約30名。

田中俊太郎      現在、南山会代表。1969年総合電機メーカー入社、発電システム制御、自動化システム開発、電力向け情報システム開発に従事、その後、産業用システムソリューション事業、カーエレクロニクス事業など事業企画、経営に参画。

齋藤彰夫         1967年総合電機メーカー入社、通信機器海外事業企画、輸出営業、国際情報通信システムのプロジェクトマネジメントに従事。その後、欧米通信関連企業日本法人代表等を務め、現在、海外企業の日本参入支援ビジネスコンサルタント。

近藤宣之         1968年電気・精密機器メーカー入社、労働組合委員長、取締役米国支配人、取締役国内営業担当等に従事。現在、レーザー・光学機器専門輸入商社を経営。

川村武雄:        1967年総合建設会社入社、中近東、東南アジア、米国などで建設工事に従事。その後,半導体製造装置メーカー米国現地法人GMを務め、現在、米国在住。